2011 4月
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LO−1

 所用で、3月の終わりから4月の始め、4泊5日で大分まで行って来ました。
九州は初めての訪問です。一番、西が山口県の小郡でした。
30代前半のことです。四国や北海道も20代から30代に何度か行きました。
 秋田から羽田経由で大分まで半日でした。案外近くに感じました。
大分空港で驚いたことは、荷物受取所のベルトコンベアに大きな握り寿司が
流れて来ました。もちろんプラスチック製の作り物です。回転寿司の洒落です。
 
 4泊5日の滞在で、観光はほとんどできませんでした。それでもなんとか
半日、時間を作って大分を観光しました。もちろん、茅葺き民家が目的です。
別府から国東半島周辺の田舎は探索しました。

  上は、民家の漆喰の壁で発見した鏝絵です。大分のどこかもわからず、
気の向くままに走行して発見しました。たぶん、日出町か?
真新しく、現代の作品です。ホームページで、私も秋田の鏝絵を紹介して
いました。大分が、今も土蔵に施された鏝絵が多いことは知っていました。
また、鏝絵に関する研究も盛んなことも知っていました。
左官職人が、今でも活躍していることに感動でした。家人に左官職人さんの
ことを聞いてみようと思いましたが、不在で聞くことができませんでした。

LOー2
LOー3

 気の向くままに走行して、いくつもの茅葺き民家を発見しました。
たぶん、50戸は越えたと思います。残念です。そのどれもトタン葺きで
覆われていました。気ままに走っていたらトタン葺きの元茅葺き民家を
菜の花畑の向こうに発見しました。とてもいいアングルです。
遠景で写真を撮った後、民家を訪ねてみました。家人が在宅でした。
 ここは日本なのに、日本語が通じるかちょっと心配しました。
取り越し苦労でした。ちゃんと会話になりました。
もしも秋田弁と大分弁で話したら、半分は会話にならないだろと思いました。
 トタン葺きに変えて、まだ、10年はならないそうです。写真愛好家の方が
よく訪れていたそうです。天気も良かったのでしばらく楽しいお話をすることが
できました。
 お別れの際、おばあちゃんの写真を撮らせて頂きました。アップで紹介
できないのが残念です。さらに残念なことは、住所と名前を聞くことが
できなかったことです。後日、撮った写真を送るためです。
写真を撮らせて頂くことまでお願いできましたが、今どきの悪徳商法を考えると
突然、おじゃまして、写真を送るためとは言え、聞くことはできませんでした。
本当に残念な時代です。時代になりました。

LO−4

 気の向くままに走行して気づいたことは、大分は竹林が多いことです。
竹とんぼの仲間から、大分の竹は柔らかく、竹細工に最適なことを聞いて
いました。今でも竹細工が盛んなことがわかりました。

 上は石橋です。こんなりっぱな石橋、初めて見ました。
明治時代に作った橋です。徒歩で渡ってみました。渡ることができます。
いい眺めでした。

LOー5

 こちらは、石で作った仁王さんです。阿吽の阿の方の仁王さんです。
石の仁王さんも初めてみました。江戸時代の作です。足下に注目してください。
「ご参拝の方で足腰の悪い方はこの仁王像の足をさすって、強い足にあやかって
ください」とありました。一昨年、大怪我をして足が悪いので、私も強い足に
なるようにさすって、あやかりました。

LOー6

 ようやく発見した本物の茅葺き民家です。国東半島の杵築市か国東市を
走行して、偶然、発見しました。トンネルの上部に、観光用の壁画があって
茅葺き民家の壁画でした。ようやく出会えた茅葺き民家です。
紅梅が見頃を迎えていました。
国東市にあった国指定の茅葺き民家でした。この近くの中津市にも
福沢諭吉の旧邸が茅葺き民家で現存していることがわかりました。時間がなくて
行くことができませんでした。

 秋田と大分との関わり、何もなさそうですが、私の浅い知識で、明治の時代、
秋田の偉人で、農業指導者の石川理紀之助が九州各地を訪れ、農業指導を
したことが知られています。大分も訪れ、講演をしたそうです。
特に宮崎県都筑市山田町で半年間滞在し、貧困にあえぐ農村を救済しました。

 秋田が誇る郷土の偉人、石川理紀之助ご存じですか。
 現代では、福田元首相が石川理紀之助の言葉を引用し、
国会施政方針演説をしました。
 また、阿川弘之の小説「雲の墓標」の中に石川理紀之助
「味噌なめて晩飲む酒に毒はなし、煤け嬶(かかあ)に酌をさせつつ」
という狂歌を、風土に合わせ「酒」を「焼酎」の字に変えた一説があったかな?
間違っていたらごめんなさい。

LOー7

 遂に、人が暮らす茅葺き民家と思ったら、茅葺きで作った茶店でした。
別府で見つけたおみやげ店です。茅葺きの上に杉皮を重ねて葺いていました。
茅葺き職人さんは、宮城の業者だそうです。

 半日の観光でしたが、とても有意義な観光でした。もっとゆっくり観光できたら
人が暮らす茅葺き民家が発見できたような気がします。
 
 ゆっくり観光はできませんでしたが、初めて見た湯布岳(豊後富士)は男性的な
荒々しさと、まるで垂直にそびえ立つような雄大な姿が圧巻でした。
 大分を去るとき、ようやく桜が開花し、見頃を迎えました。
今後の私の人生で、また、大分を含めて九州、そして全国津々浦々を旅行する
機会があるのかないのかわかりません。近い将来、その機会があることを願って
大分を離れました。

 
LOー8

 3月の終わり、大分に向け、秋田を出発したときは吹雪模様でした。
大分で滞在した5日間は晴れの天気でした。そして、秋田に着いた夕刻、
やはりみぞれ混じりの雪模様でした。春を遠くに感じました。

 上は、里山にひっそりとたたずむ茅葺き民家です。
民家の回りの田んぼも里山も一面の雪です。4月に入り、予報に晴れの天気が
増えました。出かけたこの日は、終日晴れの天気でした。
沿岸部に住む私の地域はほとんど雪が消えました。
内陸部の山間地に入るに従って、まだ、多くの残雪がありました。
LOー8に立つ私の場所は、1mを越える積雪があります。
今冬は例年に比べて多い雪に、その分、例年よりも多く除雪作業をしました。
ようやく雪との闘いが終わったと思うような陽気でした。

LOー9
LOー10
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 一足早く雪解けした田んぼの畔からフキノトウが芽吹いていました。
早朝、氷点下まで下がり、氷が張りました。
久しぶりに晴れて見る鳥海山が眩しく、輝いていました。
きょうは終日、たぶん、鳥海山が雲で覆われることはないでしょう。
今年も鳥海山の追っかけが本格的に始まりました。

LOー12

 坂道の向こうに茅葺き民家です。まだ、多くの残雪があります。
フキノトウの同じ斜面に福寿草が咲いていました。
LOー13

 福寿草の咲く季節になりました。オレンジ色の橋を渡ると茅葺き民家です。

LOー14

 福寿草が一輪、いつもの年なら咲き終わりの時期です。
今年は、残雪が多く、ようやく一輪だけ咲きました。
写真の白さの部分が積雪の厚さです。1m以上あります。

LOー15

南東に面した斜面からようやく福寿草です。いつもより2週間も遅い開花です。

LOー16

 いつも突然現れて疾風のように去って行く郵便屋さんです。
カメラを構える時間も与えてくれず、あっという間に去って行きました。

LOー17

 フキノトウの向こうに茅葺き民家。フキノトウは南斜面の土手にあります。
フキノトウを入れて、真っ白な綿雲も入れて、縦長の写真にしました。

LOー18

 ようやく我が町のカタクリが開花しました。スイセンも一輪開花、フキノトウは
終わりかな。カタクリ、スイセン、フキノトウと茅葺き民家も全部入れて、
欲張りなアングルにして、こちらも縦長の写真になりました。

LOー19

 一面に福寿草の群生地です。昨年の今頃は、すでに終わっていた場所です。
それにしても見事な群生地です。私の立つ後ろも、さらに群生地です。
その場所も入れて撮ると、向こうに見える茅葺きの納屋が写りません。

LOー20

 ようやく、雪解けの間から福寿草が咲き出しました。紫色の可憐な花は
キクザキイチゲ草です。カタクリの花は、つぼみでした。
いつもの年なら、すでに咲き終わっている時季です。遅い春です。
福寿草の向こうは残雪です。
山里の集落、田んぼは、まだまだ、一面、雪景色でした。
この周辺は桜もつぼみ状態で、5月の連休中に咲くかなと思うほど
残雪がありました。

LOー21

 八重咲きのスイセンの向こうに、我が町の茅葺き民家です。
田んぼの残雪がようやく消え、水たまりが乾くと、まもなく田起こしが始まります。

LOー22

 こちらは、ラッパスイセンです。ようやく見頃を迎えました。
10日前後遅い開花です。

LOー23

 ようやく、梅の見頃を迎えました。こちらも例年より10日前後遅い開花です。
我が町のソメイヨシノ、ようやく満開を迎えました。

LOー24

 こちらも見頃の水芭蕉です。今年も咲きました。

LOー25

 4月下旬で、たんぼに残雪があります。
我が家より遠く、車で約40分、この辺一帯は、ほとんどの田んぼに残雪が
ありました。
 この集落に設置する交通安全の看板、毎年、図柄を変えて
思わず気持ちが和む看板です。
この看板を手前に、遠くに茅葺き民家、私の好きなアングルです。


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