2012 6月
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MG−1
MG−2

 早朝3時起床、4時出発、5時到着しました。すでに先着の方が数人いました。
昨年、この写真を撮るため、3回通ったにもかかわらず、満足な写真を撮ることが
できませんでした。今年は、満足です。
 幼少の頃、高い山というのは、頂上がふたつ瘤(コブ)になっていると
思っていました。ちょうど生家から見える鳥海山が写真のように見えました。
鳥海山をほぼ北の位置から見ています。

MG−3

 わかるでしょうか?遠くに茅葺き民家があります。
わかるでしょうか?喉元を膨らませて、ゲロゲロ(ゲロゲーロ)と鳴いています。
他のカエルさんも鳴いています。カエルさんの大合唱でした。

MG−4

 鳥海山を北東側や東側見ると、ふたつコブは見えません。
雪解けが作る雪形、それぞれの地域からいろんな表情が見られます。
鳥海山の中腹、左側に幼女のような顔が見えます。見えないでしょうか?
※ 写真入れ替えました。

MG−5

 場所を変えて別の位置から見た鳥海山です。
鳥海山の中腹、左側に幼女のような顔が見えます。見えないでしょうか?
この幼女の顔、方向が違うと、まるで別の表情になります。
※ 写真入れ替えました。

MG−6

 初対面のワンちゃんです。
人懐っこいワンちゃんで、初対面の私に吠えることもなく、モデルさんになって
頂きました。何の報酬もないので、こちらの要望に応えて表面を向いてくれません。
そのうち、ごろりと寝ころんでしまいました。もちろん、その姿も撮りました。

MG−7

 一休み
 ワンちゃんがいる民家で、家人としばらくお話しました。
非常に興味ある話をいくつかお聞きしました。

◆ この民家の近くに小さなお社があります。この民家からまもなく坂道を登ると
峠付近の道路脇に大きな杉の木がありました。数年前、強風で倒れてしまいした。
その大木の前にお社があり、「山の神」と思っていました。今でも地元の方が大切に
しています。なんと、そのお社はオオカミを祀っているお社です。
この付近で生息していた白いオオカミを祀っています。
白いオオカミは、農民を悩ませていた他のオオカミをかみ殺してくれたそうです。
日本国内で絶滅したと言われるオオカミが、秋田にもかつていたらしい?
家人は、大正生まれの93歳です。もう子どもの頃の話だったので、その当時も
生息していたかはっきり覚えていません。
オオカミがいた?白いオオカミを祀っている?なんか夢のようなお話でした。
 【日本では山間部を中心にオオカミ信仰が存在し、魔よけとしてオオカミの頭蓋骨が
用いられていました。特に江戸後期から明治初期にオオカミ信仰が流行した時期が
ありました。(ネットから)】
 秋田では、かつて生息していたニホンザルを狩猟して、猿を食用としていました。
その頭蓋骨を魔よけとして、茅葺き民家の馬屋などに飾る風習がありました。
おじいちゃんが話してくれた内容は、ニホンザルと日本オオカミの違いがあるものの
なんとなく納得できます。

◆ 上の白い石、ふたつ何かわかりますか。大きな化石の牡蠣(カキ)です。
この民家の付近で発見されました。ここは、大昔、海でした。気の遠くなるような
太古のことです。また、この付近一帯は、木の化石、哇化木(ケイカボク)が多く、
やはり太古には森林地帯でした。この民家にも大きな哇化木がゴロゴロありました。
牡蠣(カキ)の化石と、木の化石(哇化木)、どっちが古い?太古のロマンです。
 大きな赤い石は瑪瑙(メノウ)質の石です。この石もこの付近で発見され、無造作に
この民家のまわりにゴロゴロありました。お宝がゴロゴロある民家でした。


◆ 白い大きな牡蠣(カキ)や哇化木(ケイカボク)の化石について調べました。
秋田大学 附属鉱業博物館に行ってきました。
世界の鉱物標本が展示されています。秋田県人でもあまり知られていない
世界の珍しい鉱物標本を集めた博物館です。秋田は、鉱物資源や石油が豊富で
そのための大学の研究機関です。
 同じものがありました。牡蠣(カキ)の化石と哇化木(ケイカボク)がありました。
時代は新第三紀(約2500万年〜200万年)で、1500万年前後の化石だそうです。
哇化木(ケイカボク)が少し古い年代とのことです。
標本の化石は、ワンちゃんのお宅のものより小さいなものでした。
 博物館の玄関前に、直径1.5Mもある白い卵形のメノウ質の岩石が
展示されていました。鳥海山近辺で産出した岩石で、ワンちゃんのお宅にあった
赤っぽいメノウ質の岩石も同じ鳥海山近辺で産出されました。(6月19日加筆)

MG−8

 白い帽子を被った鳥海山です。煙突と煙突の間、雪形が幼児に見えます。
MG−4、MG−5の表情に比べてどうでしょうか?

MG−9

 (鳥海山は、すそ野が日本海まで広がる独立峰です。日本海に面したすそ野から
一気に標高2236mの頂上です。鳥海山に連なる山はありません。)
先月、同じ内容で紹介しました。先月の画像、MEー7、ME−8に刺激され、鳥海山
周辺にできる特異な雲形を撮ることが楽しみのひとつに加わりました。

 前回は、到着してカメラを構えていたら雲が一気に広がり、無情の雲でした。
今回も到着した頃、うっすらと雲が広がり、徐々に濃くなり、頂上が隠れそうです。
あわててシャッターを押しました。雲が頂上付近に帯状に広がり、そのままぐるっと
巻きそうです。大蛇のように巻くことを期待しました。
 高知大学のS先生から紹介され、北海道の独立峰、
羊蹄山(クリック)に巻いた
大蛇のような雲を撮ってみたいと思いました。
そのチャンスが案外早く訪れ、スクープ写真が撮れたと思いました。残念です。
途中まで順調に巻いて、これが最大で、まもなく雲は消えました。



山形の茅葺き民家
MG−10

 山形へ行きました。目的は庄内映画村です。
その途中、茅葺き民家を探しながら行きました。広い庄内平野、目的地まで適当に走行
しながら行きました。茅葺き民家の発見は、そんなに難しいことでなく、行きと帰りで
10戸ほど発見しました。
山形県側から見た鳥海山と茅葺き民家を撮りたいと思いましたが、鳥海山が雲に隠れて
撮れませんでした。それと、上の写真のように屋敷林に囲まれ、その向こうにあるはずの
鳥海山のすそ野も頂上も見えませんでした。

MG−11

 こちらも緑に囲まれた茅葺き民家です。ここでもすぐ後方が里山で、この民家から
鳥海山は見えません。

MG−12

一休み
 広い庄内平野、散在する集落に入ると、民家の母家に隣接して漆喰の土蔵が
あります。もしかしてと思って確認すると、土蔵の壁面や明かり窓の扉に鏝絵が
施されています。また、瓦葺きの母家の破風に施された鏝絵もありました。
家人にお尋ねしたところ、昭和50年当時に創建しました。その頃、左官職人の中に
鏝絵ができる職人さんがいました。残念ながら後継者はおらず、他界したため、
その技術は継承することなく途切れました。
2012年4月、MD−8〜10の鏝絵は、
庄内地方にいた左官職人かもしれません。

MG−13
MG−14
MG−15

一休み
 広い庄内平野、散在する集落ごとに村社があります。丁寧に見たいと思いながら
ほとんど通り過ぎました。茅葺き民家を探していたらお寺の鐘楼と神社の鳥居が
見えました。直感しました。何かあると思いました。ありました。
秋田や山形に多く見られる力士像(力神)がありました。
普通、本殿の4隅にありますが、ここの本殿(拝殿)は正面に阿吽の力士像
4体ありました。迫力ある力士像です。おそらく江戸末期か、明治初期の作と
思われます。
 秋田の沿岸部にある神社で、山形県遊佐町の職人さんが施工した力士像が
あります。その職人さんが活躍した時期が江戸末期から明治初期です。
かつて、秋田の内陸部横手市にも力士像の木彫を得意とする職人さんの一派が
いました。山形と秋田の職人さんの関係はわかりません。
現役の民俗学等を専攻する大学生さん、調べてみたらおもしろいかも。
わたし、私は道楽で野次馬だからやりません。

 お寺の鐘楼、それに大きな仁王像がありました。お寺はありません。
神仏分離令、廃仏毀釈により、お寺の本堂はありません。
お寺の本堂はなくても、鐘楼と仁王さんは、今でも地元の方々に大切にされている
ことがわかりました。

MG−16
MG−17

 あっちこっち寄り道しました。私の本題に戻ります。
私のワンパターンアングルで撮りました。藤の花の向こうに茅葺き民家です。
いつまでこのような癒しの原風景が撮れるのでしょうか?

MG−18

 梅雨に入る前、できるだけ鳥海山の雪形のいろんな表情を撮ろうと思います。
早朝、我が家から鳥海山が見えたら、迷わず鳥海山方面です。

MG−19

 山里の向こうに鳥海山、何度訪れても飽きることがありません。

MG−20

 農道を歩いて行くと、茅葺き民家があります。その向こうに茅葺き民家です。
まるで水彩画で描くような山里の風景です。

MG−21

 秋田のサクランボ生産量は、全国で4〜5番目です。今年も1000円で食べ放題に
行ってきました。佐藤錦を腹いっぱい食べることができました。
残念ながら、昔はあったであろう茅葺き民家はサクランボ果樹園の近辺には
ありません。
 上の写真、さくらんぼと茅葺き民家です。果樹園の産地から遠く離れた場所です。
食べるにはちょっと早く、まだ、色づいていません。
家人が食べることはなく、食べ頃になる頃に野鳥や昆虫が来て食べます。

 今年の秋田の6月は、梅雨に入っても比較的晴れの日が続きました。7月は?

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